過熱する「台灣有事」非難合戦の裏にある高市首相の勇み足 高市首相の「台灣有事」の際に日本の「集団的自衛権」の発動が可能になることを意味する「存立危機事態」を認定する國會答弁を受けて、中國が過敏に反応した。中國外務省の林剣報道官は、13日の定例會見で、高市早苗首相に対し、台灣に関連する「悪質な」発言の撤回を要求し、撤回しなければ日本は「一切の結果を負うことになる」と述べた。 
何も起こっておらず、台灣の當事者の立場も見えないまま、日本と中國の緊張関係が強まっている。アメリカのトランプ大統領ですら、アメリカはこの件とは関係がない、という姿勢をとっている。日本はアメリカとの貿易で多額の利益を得ているし、自分は中國側と良好な関係を持っている、という趣旨の発言をした。 背景には、対中國で強い姿勢を見せて高い內閣支持率の維持につなげたい高市首相と、首相のタカ派的な立場を警戒していた中國が、言葉遣いを捉えて、非難の応酬をしている構図がある。高市首相の支持者は、當然、中國に弱腰の姿勢を見せてはならない、と盛り上がる。それを見れば、中國も強い姿勢をとらざるをえない。悪循環だ。 多くの人々が誤解しているようだが、ここで重要なのは、対中政策において、「媚中」的に曖昧であるか、「反中」的に明快であるか、どうかだけではない。 高市首相の國會答弁においては、台灣を海上封鎖した中國に対して、まずアメリカが実力行使することが大前提になっている。アメリカが対中戦爭に突入すれば、日本としては、「わが國と密接な関係にある他國に対する武力攻撃が発生し、これによりわが國の存立が脅かされ、國民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」に入ったと認定せざるを得ないので、集団的自衛権を行使する、という內容になっている。 ところが実際には、アメリカは、「戦略的曖昧性」の従來の政策を捨て切っておらず、台灣防衛を確約などしていない。確かにバイデン前大統領は、踏み込んだ発言を繰り返して、「戦略的曖昧性」の政策の転換を図っているのか、と話題になった。しかしトランプ大統領になって、そのような発言を政府高官が行うことはなくなった。台灣を見捨てるつもりでないとしても、少なくとも従來の「戦略的曖昧性」の地點に立ち戻っていると言える。 2015年平和安全法制をめぐる議論では、日本が共同で集団的自衛権を行使するのは、「我が國と密接な関係にある他國」、つまりアメリカである、という點が、自明の前提になっていた。台灣有事に対する日本の立場が曖昧なのは、集団的自衛権を共同で行使する対象國のアメリカが、台灣防衛に曖昧な立場をとっている事情がある。 もし日本が、アメリカを飛び越して、台灣を防衛する目的で集団的自衛権の行使を宣言するならば、全く事情が異なることは、言うまでもない。日本にそれをやる覚悟があるか否かを問う前に、アメリカ抜きで台灣防衛作戦を遂行する能力など日本は持っていない、という端的な事実がある。アメリカ抜きで參戦すれば、中國にあっという間に駆逐されるだけである。 トランプ大統領が、アメリカはこの件に関知していない、と発言しているのは、當然である。高市首相が、アメリカの頭越しに、アメリカには台灣防衛の覚悟がある、と明言した形になっているからだ。いったい軍事的にアメリカにも中國にも対抗できない日本の首相に、そのような発言をすることが許されるのか。橫須賀の米軍基地でジャンプしたからといって、アメリカがいつ台灣防衛の軍事作戦をすべきかを日本の首相が決めることができるようになるわけではない。高市首相の越権行為のような態度を、大國の指導者たちが感じて、不快感を抱いたとすれば、當然である。 歐州では、人口約136萬人という極小國のエストニアの首相から、EU外交安全保障問題上級代表に就任したカヤ・カラス氏が、「ウクライナは勝たなければならない」「われわれはロシアの崩壊を恐れてはならない」といったタカ派発言を繰り返して、トランプ政権の不評を買っている。カラス氏は、過去11カ月にわたり、トランプ政権高官に會うこともできていない。歐州指導者がワシントンDCに行く際には、カラス氏が除外される。 日本はエストニアよりも重要なアメリカのパートナーだ、と言えば、もちろんそれはそうだろう。しかしいずれにせよアメリカと中國と比べれば、全く格が違う國だ。高市首相が、獨自の判斷でアメリカ軍を動かしたりできるわけではない。 高市首相は、トランプ大統領との良好な関係をアピールして、高い內閣支持率を記録するスタートを切ることができた。だが果たして、そこに慢心がなかったか。 実際には、トランプ大統領訪日の際に、通例である共同宣言の発出もできず、政策的な調整はできていないのが、実情ではないだろうか。 その點に留意した慎重さを欠き、トランプ大統領を巻き込んで、対中強硬姿勢さえ示せば、國內で高い內閣支持率を維持できる、という點にばかりとらわれていると、やがて足をすくわれることになるだろう。 高市早苗 極端ナショナリズム
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